葛飾北斎の「富嶽三十六景」、歌川広重の「東海道五十三次」など、
いまだ衰えぬ人気で世界中のファンを魅了し続ける「浮世絵版画」。
江戸の世に花開いた日本美術の華は、日本独自の構図や技法を生み出し、一色の墨摺りから多色摺りへと発展を遂げました。
そこには、絵師の創意工夫に富んだ筆さばき、彫師の精巧な技とともに摺師の繊細な感覚と高度な表現技術がありました。
この「木版印刷」の磨き抜かれた技術を保存・継承するだけでなく、時代の変化と向き合い、
新たな可能性に挑み続けるのが、京都の老舗木版画工房「竹中木版 竹笹堂」です。
そこには失われつつある伝統工芸を絶やさないための、たくさんのヒントがありました。
- 竹中木版 五代目摺師
(有)竹笹堂 代表取締役社長
竹中 健司さん京都の老舗木版印刷工房の摺師としてだけでなく、現代木版画作家としても数多くの作品を発表。またクリエイティブディレクターとして、クリエイターとのコラボレーション作品やイベントプロデュースなども手がける。また、木版印刷の普及・発展、後継者の育成を目的に、国内外でのワークショップを開催する一方、世界各地での木版印刷の調査にも従事するなど、精力的な活動を続けている。
- (有)竹笹堂
明治24年創業の老舗木版印刷工房「竹中木版」の技術をベースに、木版印刷の商品開発・監修・イベント企画等の活動を展開。木版印刷を施した和紙を加工した雑貨や、木版画の図案をデザインした「MOKUHAN」、人気クリエイターとのコラボによる現代版の浮世絵「いまうきよえ」など、幅広いラインナップを取り揃え、現代のニーズに合った新しい提案を行っている。
伝統技術をつなぐための新たな事業展開
平安時代から江戸時代までの1000年の長きにわたり、日本の政治と文化の中心であった古都・京都。創業百年を優に超える老舗が点在するこの街には、伝統に根ざしながらも常に新しい息吹を取り込み、時代に即した進化を続ける存在があります。
京都市街地の中心部を東西に走る四条通から小さな路地へ。風情のあるたたずまいの町家が並ぶ一角に、「竹笹堂」があります。竹笹堂の母体は、明治24年創業の木版画工房「老舗手摺匠 竹中木版」。代々当主摺師によって継承されるその伝統技術を生かし、現代のニーズに合ったモダンアートや雑貨などの企画・製造・販売を展開しています。
「木版印刷は、すべて職人の手仕事なんですよ」。そう話すのは、竹中木版の五代目摺師であり、竹笹堂の社長を務める竹中健司さん。自ら木版作家として数多くの作品を発表する一方、木版印刷技術の発展・継承を目的に、国内外を問わず精力的な活動を続けています。「竹笹堂を興したのは、今から約16年前のこと。木版印刷の担い手である摺師、彫師の高齢化が進むなかで、どうすればこの技術を絶やさず、未来につなげていけるかを考えた結果、自ら仕事を生み出せる会社をつくろうと思ったんです」と竹中さん。彼が新たに取り組んだことのひとつが、オリジナル商品の開発です。それまでの木版画の制作・販売に加えて、木版印刷を施した和紙を加工した親しみやすいステーショナリー、木版画の図版を用いた温かみのあるテキスタイルやインテリアなど、木版の味わい深い商品を次々と発売。職人の手摺りによって一つひとつ丹念につくりあげる木版商品は、京都を訪れる女性を中心に人気を博しています。「すべては"技術を継承するために、商品を展開する"という考えが前提にあります。昔のように万単位での摺り仕事が減るなかで、弟子たちが仕事を通して技術を学ぶことが大切です」と竹中さんは語ります。
また、もともと「人まかせにするのが嫌い」という竹中さんは、より多くの人に木版の魅力を広めるために、独学で公式ホームページを開設。さらには木版画を自ら作ってみたいという人々が気軽に参加できる「体験教室」、職人による本格的な添削指導が受けられる「通信講座」、浮世絵についての解説とともに、その技術を直に見学できる「浮世絵実演講座」を順次スタートしました。「この技術を保ち、つないでいくために、どんな仕事が必要なのか、何がベストかを考えて行動しているだけなんです。儲けたいというよりは、状況がそうさせている感じかも知れません」と、竹中さんは笑みを浮かべます。
技術向上を支えた日本の風土と庶民の存在
木版印刷とは、木の板に絵柄や文字を彫った版を使う印刷技術のこと。墨や絵の具を塗った版に和紙を当て、バレンで摺り込むことで転写していきます。その起源には諸説あるものの、約1200年前に日本に伝来し、書籍を大量に生産するための技術として用いられてきました。「もともと木版画は、宗教を広める目的で、経典や宗教画を描いたのがはじまりなんです。その後西欧では、木板や金属に形を刻んだ活字を組み合わせて版にする"活版印刷"が主流となりますが、それはアルファベットが適していたから。日本にはくずし字など定形外の文字もあり、職人の手による自由度の高い表現ができる木版の方が手っ取り早かったようです」と竹中さん。また、豊かな自然環境が育んだ、日本ならではの材料があったことも、日本の木版印刷の技術発展を後押ししたそうです。「ひとつは版の材料となる木材。密度が高く堅い桜の木は、彫った部分がつぶれにくく、彫刻刀の歯が入りやすかったため、緻密な絵柄を彫るのに最適な版材でした。当時の西欧では、額装して眺めることが多かったのに対し、日本の浮世絵は庶民のものだったので、手で触ることが前提でした。絵の具が手につかないようにするために、バレンを使って"ギュッギュッ"と和紙のなかに絵の具を押し込めることで、鮮やかな発色が生まれたんです」とのこと。
また、庶民のものであるが故に安価であること。費用を抑えるために版数を少なくするといった制限のもと、江戸っ子たちを常に驚かせる斬新さが求められるなかで、木版印刷技術の創意工夫が重ねられてきました。その高度な技術には、日本の風土と自然の持つ力、美しい情景や江戸の風俗を楽しむ洒脱な庶民の存在が欠かせないものだったのです。
摺師に必要とされる繊細な感覚と正しい理解
木版印刷は、原画を書き下ろす「絵師」、原画を基に版木に彫刻を施す「彫師」、その版木を使って和紙に色を摺る「摺師」という、それぞれ専門の技術を持った三者の分業制で行われます。「摺師には、研ぎ澄まされた繊細な感覚が必要です。一度に何百、何千、何万もの同じ版画を摺るのですが、すべて同じ色、同じクオリティの作品に仕上げなければなりません。色の調合や摺る際の力加減、和紙によって異なる微妙な色合いや染み込み具合を計算したうえで、一色ずつ丁寧に色を重ねていくんです」と竹中さん。また、版木や和紙に含ませる水分や絵具の濃度によって表現される"ぼかし"と呼ばれるグラデーションや陰影など、木版印刷には、熟練の職人以外には真似のできない超絶技法が含まれています。竹中さんが、「どうやったらきれいに摺れるのかを、理論に基づいて正確に理解しておくことが大切」と話すように、和紙や版木の性質、絵の具やのり、水分のバランス、色の塗り方や出し方、力加減など、科学的な根拠を持って習得しておくことが必要不可欠なのだそうです。竹中さんは京都市立芸術大学の講師として後進の指導にあたるだけでなく、立命館大学の特任研究チームのメンバーとして、歴史ある古版画に関する調査研究にも携わっています。
伝統工芸の未来を拓く柔軟な発想と行動力
木版印刷の彫師・摺師として活躍する職人は、東京・京都を併せておよそ50名。竹笹堂では、彫師、摺師に加えて、デザインを担当する絵師、お弟子さんを含めた計10名のスタッフが木版印刷に従事しています。「そのほかにも非常勤スタッフとして、デザイナー、カメラマン、ライターなどのメディアチームがいるのですが、実はすべて近所に住む飲み友だちなんです。彼らと協力してものづくりをすることで一級品がつくれるのも、日本の文化が包括された京都ならではかもしれませんね」と竹中さんは話します。
また竹笹堂には、企業には珍しい、2つの習慣が確立しています。ひとつは、スタッフ全員の食事を当番制でつくり、食事をともにすること。もうひとつは、三味線や武道などの習い事を推奨していること。「それらはすべて、楽しく働くために必要なこと。僕は、各自がやりたいと思う仕事を真剣かつ自由にできる環境を提供したい。だからこそ、ともに食事をすることでより多くのことを共有し、仕事以外の文化に触れることで、脳を活性化させるのが目的です」。
そのほか、工房にある広間を使い、講師を招いての英語のレッスンも続けているそうです。「僕は、"何か欲しければ、はじめてしまえば手に入る"と思っています。実際に英語を習いはじめたら、海外からの話がたくさん来るようになりました。まずは、はじめてしまうこと。そして、一つひとつの行動にどんな意味があるのかを考えながらやれば、的が外れることはありません」と竹中さん。その言葉は、確実に次の世代に受け継がれています。「うちでは10年単位で、彫師1人、摺師2人の3人ずつ弟子を受け入れていこうと決めています。10代が3人、20代が3人と若手を増やしていけば、木版印刷の技術が絶えることはありませんから」。
常に核心はどこにあるのかを意識する考え方と柔軟な発想力、積極的な行動力の3つを融合させた展開が、伝統工芸を未来へと継承することにつながっていくのです。
摺師の必須道具
バレン
水性の絵の具を和紙の繊維の中にきめ細かく摺り込むために使用する道具。漆を塗った円板状の当て皮に、竹皮の繊維をひも状に編んだ網を渦巻状に巻いた円板を合わせ、竹皮で包む構造。摺師の体重を和紙に効率よく伝えるために設計されている。
見当ノミ
和紙を正確な場所に置くための目印を付けるための彫刻刀。版木に板面に対しまっすぐに打ち入れる。
刷毛(はけ)
版木の上に絵の具をのせるときに使用する道具。主に馬の尾の毛が用いられ、摺師は絵の具をつける部分の大きさによって数種類を使い分ける。
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和紙に絵の具を定着させるための「のり」を凸部分に均等かつ丁寧につけていく。
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調合した絵の具を水で溶いたものを版木の上にのせ、刷毛を使って全体に広げていく。
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和紙は軽く湿らせたのち、見当(目印)に合わせて版木に当て、バレンを使って和紙の繊維まで色を含ませる。
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色が入りきると素早く版木からはがし、版下絵と色を見比べ差異がないか確認する。
●写真に登場する作品は、人気イラストレーターのカンバラクニエさんとのコラボレーションによる現代版の浮世絵「いまうきよえ」の新作。今秋発表予定。
「五山送り火」の「大文字」で知られる如意ヶ岳の景色を木版画で描いた竹中健司さんの作品「Nyoigatake」。
カンバラクニエさんの描き下ろし作品を原画にした「いまうきよえ」シリーズ。写真はぼかし効果を生かした背景が印象的な「IMAUKIYOE1」。
AD内田喜基さんを絵師に迎えた木版画ポスター。
世界的デザイン賞「ONE SHOW DESIGN(米)」BRONZE PENCIL賞、「D&AD AWARD (英)」IN BOOK賞を受賞した作品。
女性らしい図案が人気の原田裕子さんの木版画作品「秋をどり」。京都五花街の「をどり」を彩る提灯と紅葉が見事。
竹笹堂と老舗繊維加工メーカーのコラボによる、手触り良いコットンガーゼのハンカチーフ。
摺師が1枚ずつ摺り上げた和紙に、折り加工を施したブックカバー。文庫本・新書本の2サイズあり。
木版画の世界観を継承する、シンプルで温かみのあるモチーフをプリントしたミニノート。
京都らしい町家をそのまま生かした風情ある竹笹堂。小さな「くぐり戸」をくぐると、木版で摺り上げられた手づくりのステーショナリーや雑貨、
扇子をはじめとするさまざまな木版印刷アイテムが並ぶ。