驚嘆のマテリアル表現
萬歳 淑さんの「浮き十重紙」
金属や皮革など複数のマテリアルを思わせる、
紙でできているとは信じがたい独特の質感。
重ね合わせた紙に精美なエンボス加工を施し、
鮮やかな色彩と光沢をまとった半立体作品は、
どこか妖異な生命力と耽美な魅力に溢れています。
作家は、若手注目株として
ファンを拡大し続ける萬歳 淑さん。
彼女がこの手法にたどり着く背景には、
紙の特性を理解し、
その弱点を強みに変えるための
探究の日々がありました。
- 作家
萬歳 淑(ばんざい しゅく)さん - 1983年、東京生まれ。2006年に成蹊大学文学部国際文化学科卒業後、一般企業での社会人生活を経て「アートフェア東京2013」にて作家デビュー。翌2014年には個展「浮き十重紙展」を開催。独創性の高い作風が話題を呼び、以後、百貨店での展覧会を中心に出展、精力的な創作活動を続ける。
- HP:http://shukubanzai.com/
紙の弱点をロジカルに解決し、
進化し続けることで
観る人に驚きを与える作品をつくっていきたい。
小さく切り出した紙のパーツに細かい模様の凹凸を加え、金属や陶器、皮革にも似た質感を具現化。それらを幾重にも組み合わせることで生物特有のしなやかな曲線を描き、生き生きとした躍動感と生命感を表現する。その作品には、性質の異なるマテリアルが混ざった異質感と同時に、それぞれが有機的に結びつくことで生まれる統制のとれた一体感があります。
「まったく関連のない真逆のものをミックスしてみる。それが私の作風のコアなのかもしれません」。そう話すのは、作家の萬歳 淑さん。「紙の柔らかさと金属の硬さ、この2つの質感を混ぜ合わせてみたらどんな作品ができるのだろう。そんな思いがいつも心の底にありました」。紙とは思えない質感の追求をテーマとして、萬歳さんはこれまでに、金属、皮革、七宝、岩肌、プラスチック、陶器、杢目、錆、鱗、貝という10種類の質感表現に挑戦。それぞれの加工を施した小さなパーツをモチーフの特性に合わせて自在に織りまぜることで、自ら『浮き十重紙』と名付けた独創的な作品を生み出しています。「紙でいろいろな質感を表現する研究そのものが好きだし、いまでも多くの時間を費やしています。そのなかで得た新しい発見を次の作品に取り入れる。こうした作業を続けることで、常に進化した作品を提供していきたいと思っています」。紙でありながら、紙らしくない。萬歳さんの作品は、飽くなき探究心によってバージョンアップを続けています。
小さな頃から絵を描くことが好きだったという萬歳さん。高校までは趣味としてイラストを中心とした作品づくりは続けていたものの、大学は文学部に進学。美大出身者が大半を占める他の作家とは異なるキャリアを歩んできたそうです。「大学では美術部に所属し、展示会を企画するなどの活動に取り組んできましたが、作家になろうとは思っていませんでした。何より絵を描くという自分の好きなことを、就職活動から逃げる理由にしたくなかったので、卒業後は一般企業に就職したんです」と萬歳さん。こうして会社員として働きはじめたものの、作品づくりへの思いが募り1年で退社。その後、アルバイトや再就職を続けながら美術予備校でデッサン、専門学校でWeb、グラフィックデザインを学び、紆余曲折を経て作家としての第一歩を踏み出すことになります。「時間はかかりましたが、私にとってすべてが必要なことだったと感じています。これまでの社会人経験を通して感じたこと、経験したことの一つひとつが、小さな紙のパーツ1枚1枚になり、それが積み重なることで自分の作品になっている。いろんな道を歩んできたからこそ、作品を通して生命の厚みのようなものが表現できたらと思っています」。
アルバイトを続けながらも本格的な作家活動をスタートした萬歳さんは、2012年に開催されたアートイベント「デザインフェスタ」への出展を決意。作品の独自性を模索するなかで選んだ素材は、大学時代の作品に使用していた“トレーシングペーパー”だったそうです。「昔から透明感があってキラキラするものが好きだったことを思い出して。トレペを使って紙の透明感と金属の質感を掛け合わせた作品をつくろうと思ったんです」。そこから1カ月は試行錯誤の連続。悩みながら工夫を重ねた末に、いまの技法の原型にたどり着いたと、当時を振り返ります。
萬歳さんの「浮き十重紙」ができるまで
「何ごとも慎重に進める」という萬歳さんが次に取り組んだのは、作品の寿命を伸ばすための改良を施すこと。「お客さまに1日でも長く作品を楽しんでいただくために、現状のまま長く維持させる工夫が必要だし、それが作家の責任だということに気がついたんです。そこからは、紙の弱点は何かを見つめ直し、見つかった課題の解決策を探ることの繰り返しでした」と萬歳さん。トレーシングペーパーの「湿気の影響を受けやすい」という弱点を克服するために、耐水性のある樹脂を塗り、その上から樹脂と馴染む顔料インクやアクリル絵の具で着彩する。パーツにエンボス加工を加えることで、紙の反り返りを防ぐ。変色を少なくするために耐光性のある顔料インクやアクリル絵の具を選び、UVカット効果のある仕上げ用ニスを塗る。作品を軽量化するために接着部分を減らし、パーツの折り方、重ね方を改良する。萬歳さんの作品のオリジナリティは、紙の特性をていねいに一つひとつ分析し、その弱点を強みに変えることで確立されていきます。「そして、質感表現の幅を広げるための方法を探るなかで、和紙の繊維が金属や杢目、皮革等の筋に見立てられることに気がついたんです。トレペと和紙を重ねたものに樹脂を塗ることで、紙であって紙じゃない、私だけの質感をつくることにつながりました」。萬歳さんが選んだ和紙は、世界一薄いと言われ、美術品や文化財の修復にも使用される“土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)”。極薄かつ強靭な和紙を使用することで、萬歳さんの作風はさらなる発展を遂げていきます。
2013年・14年の“アートフェア東京”を経て、萬歳さんの作品は多くの人の注目を集めることになります。複数のギャラリーから出展の誘いを受け、都内百貨店で開催される展覧会への出展、個展開催と活動の幅を広げ、現在では独創性のある作家として、その知名度と人気が高まっています。「私のアートワークの本質は、観る人に驚きを与えること。これからも日本的な新しい素材をどんどん取り込みながら、心に強く残る作品をつくっていきたいと思っています」と萬歳さん。この先どのような“進化”を遂げていくのか、その活動に注目です。