1枚の紙から生まれるいのち「ペーパー・インセクト」|vol.36 2018 SUMMER|TSUNAGU WEB

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vol.36 2018 SUMMER 1枚の紙から生まれるいのち「ペーパー・インセクト」

1枚の紙から生まれるいのち
小林和史さんの「ペーパー・インセクト」

透明なケースのなかで息をひそめる、本物と見まごうばかりの昆虫たち。
1枚の紙から切り抜かれた自然界の小さな生き物が
生の喜びや儚さを語りかけてくる繊細で詩的な小宇宙は、
精巧さやリアルさを超えた魅惑的な美しさを纏っています。
これらを生み出したのは、デザイナーとしても活躍する小林和史さん。
1ミリ幅の紙を16等分できる驚異の技術と色彩感覚によって
紙にいのちを吹き込む小林さんの作品は、
当たり前の日常で見落とされがちな大切な何かに気づかせてくれる
根源的なメッセージを宿しているのです。

小林 和史さん

僕自身の自然観を投影させた
異次元の物語を感じてほしい。

小林 和史さん Kazushi Kobayashi
1983年(株)三宅デザイン事務所入社。ファッションデザイナーとしてパリコレクションや空間演出などに携わったのち独立。2001年に「outsect」を設立し、コスチュームデザイン、空間演出、舞台、映像、CMなどのトータルデザインを手掛ける一方で、メゾン・エルメス、SONY、蔦屋T-SITE、蔦屋家電などの美術、アートディレクションに携わるなど、ジャンルを超えたアートワークに従事する。また、昆虫をテーマにした造形作家として国内外のギャラリーで個展を開くなど、精力的な活動を展開。2001年に、第24回伝統/日本の象牙彫刻展「上野の森美術館賞」受賞。
HP:www.outsect.com

木々をすり抜ける心地よい風がわたり、野鳥のさえずりが響く。澄み切った空気と新緑に囲まれた東京郊外の里山に、小林和史さんのアトリエがあります。5年ほど前に都心から移り住んだというアトリエに招き入れられると、、エスプリ薫るアパルトマンを思わせる空間に、アンティーク調のインテリアと丁寧に使い込まれた道具一式が規則的に並べられ、外光が生み出す柔らかい陰影が、奥行きのある美しい佇まいを見せています。

壁面に表装された額やテーブルに配置されたガラスケースには、孵化したばかりのセミや朝露に濡れた糸のうえで息を潜めるクモ、鱗粉が舞いそうな繊細な羽を持つチョウなど、今にも動き出しそうなほど精微で美しい昆虫たちが収められています。これらの一見、標本のように見える昆虫たちは、一枚の紙とハサミから生み出された造形作品というから驚きです。

作者の小林和史さんが紙を使って昆虫アート作品をつくりはじめたのは、3才の頃。昆虫採集を趣味にしていた父親の標本コレクションを眺めているうちに、紙で昆虫の立体作品をつくるようになったそうです。「実は、10才くらいまで重い小児喘息を患っていたので部屋で過ごすことが多く、作品づくりは発作が出ているときの気晴らしでした。苦しくて眠れない夜などは、集中して作業をすればするほど発作が楽になったので、僕にとってはリハビリの一種だったわけです」。身近にあった紙と大人用のハサミを使い、壁に飾られた標本を見本としてはじめた作品づくりは、症状を和らげるための習慣に。また採集旅行から戻った父親が聞かせてくれる土産話に自分自身を投影し、生きた昆虫の姿を想像することで自然への興味を広げていったそうです。「喘息という病気は、季節や気温の変化に敏感に反応するもの。体調に直結するので、当時から自然環境に聞き耳を立てる感覚が培われたのかもしれませんね」。

小林さんは、病を克服した後も作品づくりを続けていましたが、「正直、将来これを仕事にしようとは思っていなかった」ため、デザインの世界へ進むことを決意。イッセイミヤケのファッションデザイナーとしてパリコレクションに携わった後に独立し、映画や舞台などのコスチュームデザインや美術演出を担当。そのほか商業施設の空間演出、さらにはCM・映画などの映像制作まで、幅広い分野でその才能を発揮し、世界の第一線で活躍を続けています。「幼少の頃に病気という負担を抱えたことが、その後の表現活動に大きな影響を与えました。自然をいつも身近に感じていたし、自然の縮図ともいえる昆虫の視点に立って物事を考えていたので、ほかの人にはない感覚が身についていたのかもしれません。例えばファッションデザインであれば、昆虫や植物の持つ多種多様なテクスチャーや色彩がオリジナルの発想につながっていたし、生と死が常に隣り合わせに存在する自然界ならではの神秘的な美しさや儚さ、死生観など、人間社会ではなく自然の世界に重心を置いていたからこそ得られた価値観もたくさんあったと思います」と小林さんは話します。

すでにライフワークとなっていた創作活動に転機が訪れたのは、小林さんが28才の時。ご本人が「評価に値するものとは思っていなかった」作品を賞賛するギャラリー関係者の薦めもあり、初めての個展を開催。その後も来場者の好評価に応えるように次々と新作を発表し、国内はもとよりドイツ、ベルギーでも個展を開催するなど、精力的な作家活動を展開しています。「1998年には、熱海市にあるサンクリノ美術館の企画として、エミール・ガレのガラス作品とのコラボレーション展示をさせていただきました。ガレについての文献を調べていくと、彼は日本の高官(高島得三氏)から水墨画を学ぶなど日本の美術・文化の影響を受けていたし、自然の摂理と向き合う考え方にも共感できました。時を超えて120年前の作家と語り合えたことは貴重な経験でしたね」。

幼少期に観察していた昆虫標本
小林さんが幼少期に観察していた、お父さんの昆虫標本。
小林さんが8才の時に制作した作品
小林さんが8才の時に制作した作品。この頃には基本的な造形の技術が完成していた。

そのほか、2016年には百貨店のワンフロアを使って商品とともに作品を展示する、空間全体を活かした展覧会を開催するなど、既成概念にとらわれない新たな試みにも積極的に挑んでいます。「僕の作品は自然の舞台を演出しているようなものなので、作家の思いを超えていろいろな方の記憶に行き着けばいいなと思っています。観てくれた方の声や感想が僕自身の救いにもなるし、次の作品づくりにつながるメッセージにもなっています」。小林さんの個展は、人々の思いや記憶、多様な価値観を媒介する役割を担っているのです。

小林さんの作品はすべて、一枚の紙から必要な部分のみを切り抜いて立体にし、着色したもの。昆虫は左右対称の構造がゆえにまずは紙を2つ折りにして重ねて切り、空洞となる体躯に膨らみをもたせるように瑪瑙を使って丸みを出していきます。「デッサンなどの下描きをすることなく、一気に紙を切っていきます。それは、ハサミは二枚の刃で挟んで切るので、時間をかけると2枚の紙に微妙な誤差が生じてしまうため。重ね書きしない書道に近い感覚です」。使用するハサミは、4才の時に母親が買ってくれたもの。先端が鋭く、刃が薄いハサミと、1ミリ幅を16等分できるという驚異の技術、幼少から刷り込まれた昆虫の構造についての記憶によって、昆虫の複雑な関節や足先の割れ目まで正確に再現していきます。「僕がつくりたいのは精巧な模型ではなく、あくまでも生きている姿を表現したいので、同じ昆虫でも毎回切り方が違います。昆虫もすべて異なるように、型やスタイルを決めてマニュアル化するのは、僕のなかで何か違う気がしていて」と小林さんは話します。

『朝露 –Morning dew–』(1998年)
『朝露 –Morning dew–』(1998年)

エミール・ガレ作のガラス器とコラボした作品。
「朝露に濡れ寒さに耐えるトンボも、やがて朝陽を受け乾いた羽で秋の大空を駆ける。これは人の人生にもあてはまる様だと思う」。(小林さん)

『廻 –KAI/Cycle–』(2017年)
『廻 –KAI/Cycle–』(2017年)

「蝉は樹木の化身であり、人生のほとんどを地中の根とともに闇の中で過ごす。やがて愛を奏でる為に幹を這い上がり、羽を得て大空へ舞い上がる。彼らにとって樹木は生命の時間軸でもあるはずだ」。(小林さん)

『記憶のカタチ –Shape of the Strage–』(2017年)
『記憶のカタチ –Shape of the Strage–』(2017年)

「本のページは記憶の構造に重なる。それらは時間の積み重ねでもあり、忘却の彼方に存在する。しかし、蝶の羽ばたきのように気まぐれな風によってページはめくれるように、記憶は不意に蘇ってくるものなのだ」。(小林さん)

『雨 –U/Misty Rain–』(2015年)
『雨 –U/Misty Rain–』(2015年)

「水の化身である蜻蛉は、蜘蛛の巣に架かり瀕死の状態にもかかわらず、その生は雨に濡れて最高潮にその輝きを増している。生命の本質はそのものを観ていても解らないものであり、間接的なもの、隣人を通してその本質が映るのだと思う」。(小林さん)

そんな小林さんのこだわりは、材料の紙選びにも。「子どもの頃は文房具店にあるものを使っていました。その頃から昆虫の自然な質感に近い紙を選んでいましたが、次第にそれでは飽き足らなくなり、最近ではさまざまなテクスチャーの紙を合わせて使っています。またトレーシングペーパーや薄くて丈夫な和紙も使用していますが、毎回スタイルを変えるようにしているので、銘柄は忘れちゃうんですよね(笑)。どんな紙に出会えるかも、作品づくりの大切な要素ですから」。着色に使う画材にもルールをつくらず、油絵具や水彩絵具、テンペラ絵具など、その時の感性に合ったものを柔軟に選んでいるそうです。

地球上に生息する昆虫の種類は、未知の種を加えると500万種とも1000万種とも考えられ、その多様性に満ちた昆虫たちが、われわれの環境を支え続けています。人間が自分たちの基準で世界を見ているのと同じように、昆虫には昆虫の世界があり、人間はその一部を認識しているに過ぎないのかもしれません。「たとえば忙しく街中を歩いているとき、肩にとまったテントウムシを見つけるとふと我に返ったりしますよね。昆虫は、普段の生活に句読点を打つように、自分の原点やものごとの本質について間接的に気づかせてくれる存在だと思うんです」。インフラや境界、先入観や思い込みを持たない彼らの視点から世の中を見つめてみると、人生を豊かにするためのヒントや、新しい価値観を得られるかもしれません。

小林 和史さん

小林 和史さんの個展

01/神楽サロン 伊勢外宮前 常設展示
□会場:神楽サロン 伊勢外宮前 逓信館
(三重県伊勢市本町20-24)
※開館日、開館時間は下記HPにてご確認ください。
□入館料:シーティングチャージ500円
□問い合わせ:TEL.03-6265-0580
02/小林和史 2018 個展
□開廊日:10月13日(土)〜21日(日)※火曜休廊
□会場:画廊 翠巒(すいらん)
(群馬県前橋市文京町1-47-1)
□問い合わせ:TEL.027-223-6311
□HP:www.suiran.com