時代と生きる伝統工芸「伊勢型紙」
布地を染色するための型紙として、千有余年といわれる歴史を紡いできた「伊勢型紙」。
卓越した技術を持つ職人によって丹念に刻まれた精微な文様は
日本の美を伝える伝統工芸品として世界的に高く評価される一方、
現代の和装離れと印刷技術の進歩によって、その需要は減り続けています。
「伊勢型紙」発祥の地であり、ほぼすべてを生産する三重県鈴鹿市白子地区。
そこには、地域の生活や風土と一体となって継承されてきた地域文化を思い、
新たな価値創出の可能性を模索する3人の担い手がいました。
引彫職人
伊藤 肇さん
60年にわたって自分だけの線を刻む
機械では表現できない
ぬくもりのある線を彫り続ける。
伊勢型紙の発祥地である三重県鈴鹿市白子(しろこ)地区で生まれ育った伊藤肇さんは、型地紙(かたぢがみ)と呼ばれる和紙を加工した紙に着物などの柄となる文様や図柄を小刀(彫刻刀)で彫る職人です。「かつては300人おった職人も、今では20人ほど。実際に毎日仕事している人はもっと少ないし、そのほとんどが60代以上だね」。伊藤さんが職人の世界に飛び込んだのは15才のとき。同じ職人をしていた父親に弟子入りし、現在に至るまでの60年にわたって、その技を磨き続けてきました。「若い頃は、朝8時半から深夜0時まで。当時は徹夜することも多かったね。着物や風呂敷、夜具(寝具)やネクタイなんかの注文もあったけど、今は写真型(シルクスクリーン印刷)があるから、だいぶ仕事は減りました」。
自ら加工した小刀を用い、研ぎ澄まされた指先の感覚を頼りに細かい装飾を施していく彫り職人の手仕事。その技術を次の世代に継承していく必要性について尋ねると、「自分の技術は、死んだら終わりでいい」と伊藤さんは言います。「基礎を教えることはできるけど、細かい感覚は伝えようがない。技術って、親方の仕事やできあがった型紙を見て、ひたすら考え、練習を重ねる中でようやく身につくものだから」。
伊勢型紙の彫刻技法には、引彫り(縞彫り)、突彫り、道具彫り、錐彫りの4つがあり、職人は得意な1つ、もしくは2つの専門を決めて、その技を極めていくそうです。「昔は突彫りだったけど、今は引彫りをしています。職人それぞれに個性があるけど、私が大切にしているのは、一つひとつの線に“やわらかさ”を持たせること。もちろん柄はきちんと彫るんだけど、あえて少しの“ゆらぎ”を加えることで、ぬくもりが生まれる。柄が生きるか死ぬか、そこには機械では表現できない、手彫りならではの良さがあるんです」。
「自分ではそんなに大した技術だとは思わん」という伊藤さん。その謙虚で誠実な手仕事が、これからも味わいと潤いのある多様な美を生み続けます。
「テラコヤ伊勢型紙」
木村 淳史さん
故郷への思いを胸に新たな伝統づくりに挑む
テキスタイルクリエイターが集い、
利益を出せるまちにしたい。
格子戸のある古い町屋の家屋が連なり、情緒ある街並みが残る白子(しろこ)地区。その一角に、ひときわ歴史を感じさせる一軒の古民家があります。
「テラコヤ伊勢型紙」は、型紙づくりの若い職人、木村淳史さんが2017年5月に開業した、職人修行を体験できるゲストハウスです。4泊5日(通いは6日間)で3種類の課題に挑み、伊勢型紙の基礎を学ぶ[弟子入りコース]のほか、オリジナルの浴衣、手ぬぐい、生地を制作する[オリジナル制作コース]、用意された図案を1日で彫る[1日体感コース]という3つがあり、オープンから1年半にもかかわらず、すでに150名ほどが参加。その9割を女性が占め、約半数が期間の長い「弟子入りコース」を選択するそうです。
「このテラコヤをはじめた目的の一つは、“副業弟子”を育成することです。平日は今の仕事を続けながら、週末だけ伊勢型紙の仕事をしてもらう。そうすることで経済的なリスクを分散できるし、本業で得た知識や感性を伊勢型紙に融合させることで、新しい価値を創造することができるんじゃないかと思っています」。木村さんは型紙職人としての活動と並行して、映像やウェブの制作も手がけるなど、マルチな活動を展開。副業が本業にも効果を生む新しい働き方を自ら実践しています。
白子で生まれ育った木村さんは、大学進学を機に上京。卒業後に就職したアパレル企業を退職し故郷に戻った木村さんは、まちの風景に大きな変化を感じたそうです。「子どもの時は、型紙の職人さんが窓辺で作業している風景があたり前にありました。かつては千人ほどいた職人さんも、今やそのほとんどが高齢化などを理由に廃業され、当時の面影はありません。僕は、あの頃の白子の風景が好きだったし、どうにか取り戻すことはできないかと思ったんです。地元に戻って伊勢型紙を使った新商品やサービスの開発をしたいと思っていたのですが、お願いできる職人さん自体が少ない。だったら自分で育てようとはじめたのが、このテラコヤなんです」。木村さんは、「もともと職人になるつもりはなかった」にもかかわらず、その苦労を知るために職人をしていた祖父と親交のあった伊藤肇さん(前述)に弟子入り。2年間の修行と並行して、クラウドファンディングで資金を集めて古民家をリフォームしたのち、職人さんが実際に使っていた道具を譲り受け、このテラコヤを開業しました。
木村さんが未来に見据えるのは、白子を「テキスタイルクリエイターが集うまち」にすること。「その一歩として、誰もが自由に使える服飾のコワーキングスペースをオープンしました。今後、染め工房を構えることで試作品づくりと伊勢型紙を使った新商品の開発を行い、実際に販売するのが今の目標です。服飾のデザイナーやパタンナー、染め職人が自然と集まり、伊勢型紙の職人とのコラボによって新しい発想が生まれる。そのうえで、まち全体で利益を生み出せるサイクルを確立したいと思っています」。
「オコシ型紙商店」
起 正明さん
型紙の意匠を転用したオリジナル商品を開発
時代に必要なものをつくり、
型紙の伝統をつなげていきたい。
1924年に創業したオコシ型紙商店は、94年の歴史を誇る型商です。型商とは、代理店と問屋の機能を兼ね備えたもので、絵師に依頼した図案、材料となる型地紙を彫り師に渡し、型に仕上がった伊勢型紙を染元に販売するまでを担います。同社は、自社で商品企画と図柄のデザイン、製造、販売までを手がける型商として、時代の流行を反映した伊勢型紙を生み出しています。「伊勢型紙は着物を染めるための用具ですが、洋服の一般化によってその需要は減り続けています。日本の伝統である着物文化を支えてきた伊勢型紙を後世に伝えていくために、その意匠性を活かした商品開発を続けています」。
そう話す起(おこし)正明さんは、創業者である祖父、多様な文様を考案した父から伝統継承を託された三代目。彫刻することでしか表現できない伊勢型紙の文様・意匠を生かしたオリジナル商品は、光源を組み合わせることで生まれる陰影を活かした照明器具や装飾パネルといった室内インテリアから、スマホケースや桐箱、ポストカードなどの生活雑貨まで、多種多様なラインナップが揃います。
「“デザインは生活を楽しくする”をコンセプトに、生活に寄り添う商品の開発を進めています。着物は生活に必要なものだったからこそ需要があったわけですし、今の暮らしに必要とされる物を提供していきたいと思っています」。起さんは、それらの商品をフランス・パリで開催されたインテリア見本市『メゾン・エ・オブジェ』にも出展。日本の伝統美に注目する、感度の高い国際マーケットを視野に新たなファン拡大をめざしています。
和のデザインの原点ともいえる伊勢型紙の意匠は、建築やアパレル業界からも大きな注目を集めています。オコシ型紙商店の2階にある大広間には1万点を超える型紙のストックがあり、打ち合わせに訪れた客人は、実際の型紙を見ながら利用目的や趣向に合った型紙を選ぶことができます。その中には、先々代、先代がコレクションとして集め続けた、歴史的に貴重な伊勢型紙も数多く含まれています。
「古くは江戸時代のものから現代のものまで。遠目には無地に見えるけど、近くで見ると繊細な加工が施されている“裏勝り(うらまさり)”の精神が息づく古典的なものから、日本の花鳥風月を表現した風流なもの、動物や絵文字などを文様にした変わり種まで、伊勢型紙には当時の世相を反映したもの、自由な発想から生まれたデザインがたくさんあります」と起さん。「当時の着物は、ファッションそのもの」という起さんの言葉どおり、伊勢型紙は日本人の美意識を知ることのできる、ファッションの系譜であることがうかがい知れます。
伊勢型紙の伝統を未来へ継承するために、起さんは時代に合わせて変化し続けることが重要だと言います。「今の時代に必要とされるものは何かを考える。かたちや手法を変えてでも、続けていく、つなげていくことが大切だと思っています。伝統は、一度途切れたら終わりですから」。人々の価値観が目まぐるしく変化する時代において、オコシ型紙商店はさらなる挑戦に取り組んでいます。
伝統文化の継承に必要なのは、
時代の変化に即した革新の連続。
伊勢型紙は、国の重要無形文化財の指定を受ける、三重県鈴鹿市の伝統産業です。その起源には諸説あるものの、室町時代末期にはすでに型紙によって着物が染められていたといわれています。江戸時代になると、武士の裃や小紋が流行し、より精微で美しい文様を表現するために、伊勢型紙の彫りの技術は大きく発展。徳川御三家の一つである紀州藩の庇護を受け、全国規模の販売網を持つ強力な専売体制によって飛躍を遂げ、着物文化の礎を築きました。
極限の集中と限りなき反復作業を通して、卓越した技術をより高めるための努力を続ける引彫職人の伊藤肇さん。故郷の原風景を取り戻すために、後継者育成と新たなビジネスモデルの確立をめざす「テラコヤ伊勢型紙」の木村淳史さん。日本伝統の美しい文様を反映したオリジナル商品の開発、デザイン販売を通して、文化継承を図る「オコシ型紙商店」の起正明さん。今回お話しをうかがった3名は、視点やアプローチ方法に違いはあるものの、美への探究心と先人の経験と知恵に対する敬意、地域の伝統文化を愛する共通の思いがあります。ライフスタイルや価値観など時代の変化に即し、多様化するニーズに応えるために革新を続けること。地域文化を支える彼らの新しい発想は、効率化や合理性ばかりが要求される時代の荒波をも超えていくはずです。